旅日記

2015年1月15日(木)石薬師→庄野→亀山へ 12.2km

掲載日:2015.01.15

2015.1.15 朝から冷たい雨が降っている。きのうは石薬師近くまで来たのに道をまちがえてしまった。元までもどりやりなおしだ。近鉄四日市駅7時35分発、平田町駅行きのバスで50分、佐々木記念館前下車。やっと石薬師宿(鈴鹿市)の旧道に入った。
 石薬師宿は元和2年(1616)に設置された44番目の宿駅で、本陣3軒、旅籠15軒という小さな宿場だった。静かな町並みに連子格子のある小沢本陣跡がある。すぐ近くには歌人・国学者の佐佐木信綱(1872~1963年)の記念館がある。この人は「夏は来ぬ」の作詞者でも知られている。
 旧宿場の通りは「信綱かるた道」(地蔵堂から一里塚まで)と呼ばれている。家々の軒下に信綱の短歌が飾られている。冷たい雨で「かるた道」の歌をゆっくりみられない。やがて石薬師寺がみえてきた。奈良時代の創建といわれる寺で、戦国の戦火のあと、神戸城主によって寛永6年(1629)に再建されたという。歌川広重の東海道53次の画に石薬師寺が描かれている。
 坂を下ると石薬師の一里塚がある。また庄野宿の矢印がある。田んぼの脇を歩いていくとJR関西本線の踏切があった。この踏切を越えたのがまちがい。冷たい雨のなか、結局は広い田んぼのなかをぐるりと一周するはめになってしまった。元にもどり昨日利用したJR加佐登駅をみながら庄野宿へ。
 庄野宿(鈴鹿市)は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒という小さな宿場。寛永元年(1624)東海道のなかで最も遅く設置された宿場だ。広重が「庄野の白雨」を描いている。連子格子の家が多い町並みのなかに「庄野宿資料館」がある。
 雨で、靴や靴下もびしょびしょ、ズボンもリュックもびしょびしょに濡れている。まずは資料館で一休みしよう。資料館はかつての油問屋だったという。暖をとり、冷えた身体が少しは暖かくなった。
 この資料館には、人馬賃や禁制を示した古い高札が5枚保管されている。高札には墨書き文字の跡がみえる。ほんものの高札は珍しい。また宿駅関係の文書、問屋場の資料などが展示されている。係の人にお礼を述べて、ふたたび歩きはじめた。
 本陣跡、高札場跡、川俣神社の樹齢300年のスタジイ(椎の木)をみる。さらに歩くと「従是東神戸領」の碑。また「女人堤防の碑」がある。このあたりは鈴鹿川と支流安楽川の合流地点で、たびたび氾濫が起きた。神戸藩に何度も修築を願ったが許されず、文政年間(19世紀初め)の頃、打ち首覚悟で200人余の女たちが堤防を補強しつづけたという。
 ふたたび靴下が濡れ、身体が冷えてきた。これ以上歩きつづけると風邪をひいてしまう。約2km歩くとJR井田川駅がある。予定は延びるが、明日はここを起点にして歩こう。

写真

地図・経路



エリア選択





TOP