旅日記

2015年1月14日(水)四日市→石薬師へ 18.8km

掲載日:2015.01.14

2015.1.14 今年初めての東海道歩きとなる。今回は3泊4日の予定だ。近鉄富田駅午前9時40分スタート。駅近くのはんこ屋さんに旧道の道をお尋ねした。お茶を頂きながら印鑑の手彫りと機械彫りの話題になった。手彫り印鑑の漢字の間にイニシャルのSとかMが彫られている。このような手のこんだ印鑑は初めてみた。
 静かな町並みを歩いていくと「力石」の碑がある。力石は32貫(120キロ)と書いてあるが、元は寺の土台石だったという。海が近いのか、このあたりは海抜2.2m。古い道標には「右桑名、左四日市」とある。やがて海蔵川手前に「三ツ谷一里塚」の碑。
 近鉄四日市駅近くが、かつての四日市宿があった所だ。だが、面影はまったくない。43番目の四日市宿は、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠98軒(1843年資料)という大きな宿だった。諏訪神社の手前の道標には「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」とある。
 日永地区へ歩いていくと小さな鉄道駅がある。駅間は700m位で、レール幅が762mmという狭軌の近鉄内部線(全長5.7km)だ。ちなみに日本の多くの在来線は1067mm、新幹線は1435mm。かつて一人旅で乗車したウラジオストックからモスクワまでのシベリア鉄道は1524mm、さらにポーランドの国境駅近くのブレスト(ベラルーシ)までは同じ広軌。ブレスト駅で列車は台車交換工場に入り、ヨーロッパのレール幅用に台車交換してブリュッセル駅へ。さらにユーロスターでロンドンへの鉄道の旅を思い出した。
 日永の追分手前に「東海道日永郷土資料館」がある。2013年11月にオープンした土蔵付きの商家を活用した資料館は、地域の歴史、民俗、文化などを展示している。日永郷土史研究会の女性メンバー二人が資料つくりに精をだしていた。
 「日永の追分」は、東海道と伊勢街道の分かれ道。いまは道路の分岐点に緑地帯があり鳥居、道標、常夜灯がある。さらに旧道を数キロ歩くと坂の途中に杖衝坂の碑、芭蕉の句碑がある。やがて国道1号に合流。「鈴鹿市」の道路標識がみえてきた。あたりはもう暗くなってきた。国際霊園手前で右に曲がるべきところ国道1号をまっすぐ歩いてしまった。
 途中、小さな設備会社の事務所があった。「加佐登駅はまだ遠いですか?」と女性事務員に道をお尋ねした。まだ何キロもありそうだ。パソコンで地図を調べたりしたが、「駅までお送りしましょうか」となった。車を発車してからすぐ「佐々木記念館」(石薬師宿内)の看板がみえた。すぐ隣は石薬師宿の旧道があった! 明日はここからふりだしにもどろう。

写真

地図・経路



エリア選択





TOP