桑名駅を8時半スタート。東口の大通を歩くとマンホールに「七里の渡し」の風景が描かれている。桑名は名古屋と同じく、第二次世界大戦で何回か空襲(1945年)の被害をうけている。そのため古い建物は少ない。
やがて桑名の「七里の渡し」に着いた。整備された場所に伊勢神宮の「一の鳥居」、常夜灯がある。石碑には「旧跡七里の渡し」とある。鳥居は伊勢の国の東の入口にあたる。渡し跡の案内板によると「渡しの西側には船番所、高札場、脇本陣、本陣が、南側には船会所、人馬問屋」などがありにぎやかであったという。桑名宿は本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠120軒という大宿場だった。
七里の渡しの前には高い堤防が築かれ昔の面影はない。とくに伊勢湾台風(1959年9月)が東海地方を襲い死者・行方不明者4637人、負傷者は約6万5千人という犠牲者がでた。被害の大きな理由は高潮の発生だったという。堤防に上がると幅広い木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)が伊勢湾に流れている。手前の揖斐川で小舟を浮かべてサオを動かしているのがみえる。散歩している人に聞くと「あれはシジミとりですよ」。
近くに六華宛(旧諸戸清六邸)があるので見学した。山林王と呼ばれた桑名の実業家が、大正2年(1913)に竣工した旧邸は、広大な敷地に洋館と和館を併設し、回遊式の日本庭園などがある。「こりゃ、手入れだけでも大変だ」というのが印象だ。
ふたたび七里の渡し場跡に戻る。旧東海道を歩くと春日大社の「銅鳥居」がみえてきた。さらに歩くと左側の堀に桑名城の石積みの一部がみられる。桑名市博物館前にある道標には「右京いせ道」「左江戸道」とあるが、旧東海道筋(場所不詳)にあったのをここに移設したとある。
毘沙門堂あたりを歩いていると、「東海道を歩いているんですか」と声をかけられた。ひょっとすると、土曜日なので旧東海道を歩く人がいるのではないかと、自転車で来たという。地元の歴史を研究している人だ。せっかくなので城下町のマス形道路などの説明をうけた。 東海道を歩いていると「○○保存会」などの名称で地域の歴史をまなんでいる人が多い。
さらにすすむと町屋橋の手前に伊勢神宮への祈願を込めたという常夜灯(文政元年)がある。町屋川を越えると朝日町に入る。徳川家とゆかりのある寺・浄泉坊などに立ち寄る。朝明橋手前の堤防になぜかポツンと常夜灯。橋を渡るともう四日市市。JRの踏切を越えると、やがて三重県の史跡「富田の一里塚跡」がある。くぎりのいいところで、近くの近鉄富田駅から帰宅へ。次回は四日市宿から石薬師宿へ歩くことになる。