旅日記

2014年10月30日(木)岡部→藤枝→島田へ 21.5km

掲載日:2014.10.30

2014.10.30 岡部橋を渡ると、すぐ国の登録有形文化財の旅籠「柏屋」がある。柏屋は以前、火事で焼失しているが、現在の建物は(延べ面積100坪)、幕末の天保7年(1836)に建てられている。いまは歴史資料館になっている。
 朝9時前であったが、受付の案内で見学ができた。旅人が足を洗う姿、台所、旅の道具、相部屋、本座敷など当時の旅籠のようすがわかる。記念に当時の旅姿も試着できる。本座敷は床の間、掛け軸などがあり武士が利用していたという。展示コーナーで江戸時代の枕のコレクションがあった。髪形をくずさないための箱枕、旅籠などで使用された小型箱枕、携帯枕など現代とはちがう枕だ。
 本陣跡をすぎると、岡部支所近くに五智如来の石造りの仏像がある。岡部宿にはいまは少しだが松並木がある。49番目の鬼島一里塚跡をへて八幡橋を渡ると、須賀神社の大楠木が目につく。このクスノキは樹齢約500年、静岡県の天然記念物に指定されている。
 もう藤枝宿になる。成田山新護寺(左車神社)をすぎて左にまがると田中城本丸跡と田中城下屋敷がある。「つたの細道公園」で全国の城をめぐっている人に出会った。田中城は円形の城という話にひかれ、寄り道して訪ねた。
 田中城は江戸時代前からの城で、武田信玄は城の守りを強固にしたが、信玄後には織田・徳川軍に大敗。その後江戸時代に譜代大名が田中藩(4万石)を治めたという歴史がある。どこからどこまでが城跡かはわかりづらいが、同心円状に4重の堀に囲まれた本丸はいまの西益津小学校にあった。学校内に円形状の城の模型がみられる。また近くの田中城下屋敷は藩主の別荘庭園だった。いまは史跡公園として田中城ゆかりの建物を移築した史跡公園になっている。ここでも受付の人にていねいに説明を受けた。
 城下町の藤枝宿は22番目の宿場で、本陣2軒、旅籠37軒、人口は4425人(1843年資料)いた。徳川家康を助けた白子由来の碑、大きな常夜灯、樹齢700年といわれるイブキがある連生寺、さらに田中城主の祈願寺である大慶寺を訪ねた。この大慶寺には久遠の松がある。樹齢700年以上、樹高は25m、根回り7mで日本の名松100選に選ばれている。ぼくはこんなに太く立派な松をみたのは初めてだ。門の近くには田中城主や家老などの墓が一か所に並べられている。
 問屋場跡を確かめてから瀬戸川の勝草橋へ。瀬戸川は水深も浅いので徒歩で渡河することが多かったという。橋を渡った右には日本橋から50里目の志太一里塚と常夜灯がある。また左側にいくと田沼街道蹟がある。老中であった相良藩主の田沼意次の城下町から瀬戸川までの7里の道があったという。いまは昔の面影はない。
 ここからひたすら松並木がときどきある旧東海道を歩くことになる。途中、田中藩の傍示石蹟がある。このあたりは田中藩領と掛川藩領がいりくむ村のため境界を示す大きな石が立てられた。藩領をしめす傍示杭は沼津で本物の石をみたことがある。さらに千貫堤の説明板があった。読むと、大井川の氾濫から村々を守るため田中藩が江戸時代初期から築いた堤防のこと。ご近所の人が「瀬戸周辺史跡マップ」を持ってきてくれた。
 あたりは暗くなってきた。旧東海道が目の前のJR六合駅(島田市)まで歩いた。次回はまず大井川の川越、川止めでにぎわった島田宿をじっくりみたい。

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