旅日記

2014年9月21日(日)藤沢→平塚→大磯へ 21.7km

掲載日:2014.09.21

2014.9.21 自宅を一番電車5時47分発に乗る。藤沢本町駅8時20分スタート。藤沢から平塚までは見るべきものは少ない。引地川を渡ってどんどん歩き始める。しばらくすると茅ヶ崎市に入った。日本橋から14番目の茅ヶ崎一里塚があった。第六天神社にお参り。海岸が近いためか、電柱に「この地盤は海抜4m」の表示。
 しばらくいくと、橋の脇に「南湖の左富士之碑」。普通、富士山は江戸から右にみえるが、ここは左側にみえる。きょうは晴れているのでラッキーだ。はるかかなたに富士山がみえる。このあたりは日本橋から60km。
 さらに行くと、左側に国史跡指定旧相模川橋脚の碑がある。橋脚の案内板によると「当遺跡は、建久9年(1198)源頼朝の家臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋と考証されている」「鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』には頼朝がこの橋の渡り初めをしたこと、帰途落馬し、その後まもなく亡くなったことが記録されている。」
 相模川の馬入橋。鉄道架橋は電車の通過が多い。川面をみるとモーターボート、水上バイクが波しぶきをあげている。レジャーもいろいろだ。橋を渡り終えたところに陸軍架橋記念碑があった。大正12年(1923)の関東大震災で橋が倒壊。急きょ陸軍工兵隊が派遣され、全長450mの橋を完成させた。さらにすすむと馬入一里塚跡(15番目)。
 平塚駅近くの紅谷町。この近くの小さな公園。ここにある番町皿屋敷にでてくる「お菊塚」を訪ねた。案内板によると、お菊は平塚宿役人の娘で江戸の旗本へ奉公。菊をみそめた家来が皿を隠し、主人に菊が紛失したとつげ手打ちに。後日皿は発見されたという。
 平塚宿の江戸見付跡、脇本陣跡、本陣跡、高札場跡、問屋場跡など宿の案内板が東西約1キロにある。近くの「平塚の塚」(平塚の地名の起こり)など見学。
 平塚宿の京方見付をへて花水川へ。小高い山がみえる。あれが高麗山。ふもとにあるのが高来神社。埼玉県日高市の高麗神社と同じ高句麗に由来している。高句麗が滅ぼされたのは西暦668年。高麗神社と同じ古い歴史がある。
 大磯の化粧坂の両脇はみどりがあり昔のふんいき。東海道本線ガードをくぐるとしばらく松並木がつづく。大磯駅近くにやってきた。大磯宿の案内板は高札みたいに、史跡の説明文と当時の町並み、問屋場の風景などが描かれている。まず駅近くの小島本陣跡、延台寺、さらに地福寺を見学。地福寺の境内に江戸時代(元禄時代など)の墓が多数おかれている。そばには島崎藤村(1872~1943年)の墓もある。
 住職が近くにいたのでお尋ねした。墓守もなく江戸時代の貴重な墓石なので一か所に集めたという。そのなかに少し倒れそうな元禄十三年の墓石。地蔵さんのような彫りがある。住職が、右手にもつ杖の上部の汚れをこすった。六角形のなかに十字がみえる。これは「隠れキリシタン」だという。駅前の観光協会の人にも聞くと、島津藩の家紋は丸の十だが、六角形はキリシタンだと教えてくれた。

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