JR磐田駅朝9時スタート。きょうから3泊4日で東海道を歩く予定だ。まずは天竜川をめざして、平凡な町並みを数キロ歩くと、右側に日本橋から63番目の宮之一色一里塚がある。現在の一里塚は1971年に復元されたものだ。しばらく歩くと、「長森かうやく」の案内板が目についた。「長森かうやく」は江戸時代前期から地元の山田家でつくられた家伝薬。「あかぎれ」「切り傷」に効くと評判だったという。
やがて天竜川近くの行興寺(磐田市池田)に着く。この寺には平安時代末期に平宗盛のちょう愛をうけた熊野(ゆや)御前が植えたという推定樹齢850年の長フジ(国指定天然記念物)がある。幹回りは太くはないが「これが800年以上か」という枝振りである。また県指定の長フジも5本あり4月下旬頃から5月初旬に1m以上の花房になるという。
長フジ近くにある「池田の渡し歴史風景館」を訪ねた。小さな館に入ると、江戸時代の船渡しの風景、渡船賃、渡船の運営などの解説がある。ご近所の人がいたので「資料はありませんか」と聞くと、「家にあるので来てください」と「天竜川 池田の渡船」(郷土研究資料・豊田町教育委員会発行)をいただいた。
天竜川の土手に上がると「天竜川渡船場跡」の大きな碑がある。その昔、天竜川は「暴れ川」といわれ、洪水や水害は多かったという。いまは上流にいくつもダムがあり、川幅は広いが水量は多くはない。歩道のある新天竜橋を渡ると中野町(浜松市)。このあたりが江戸からも京都からも60里の距離だそうだが、特別その目印はない。国道1号の距離標には「250km・東区中野町」とある。右に下りると旧東海道へ。
六所神社わきの舟橋跡・木橋跡をみてから金原明善生家を訪ねた。「金原明善とは?」ぼくは初めて聞く人物だが、生家でくわしい説明をうけた。金原明善(1832~1923年)は「天竜翁」といわれるほど、「治山治水に一生を捧げた郷土の偉人」。天竜川の治水事業、植林事業、銀行や会社の創立など多方面で活躍したことが展示資料からもわかる。また明治時代の著名な実業家、政治家との交友関係も深いことがわかる。
生家をあとにしてJR浜松駅へむけてひたすら歩く。はるかかなたに高層ビルがみえる。左側には65里目の馬込一里塚、馬込橋をわたると駅は近い。まだ午後5時前というのに暗くなりはじめている。
駅前の空を無数の鳥がギャーギャーと、けたたましく鳴きながら上空を飛んでいる。群れをなして数百、いや数千羽だろうか。街路樹にとまるときの鳴き声はすさまじい。「あれはなんの鳥ですか?」「ムクドリですね」と足をとめて携帯で写真をとる人もいる。あすは徳川家康が築城した浜松城からスタートしよう。