昨日もみたが、旅籠のような連子格子のある清水銀行。これは珍しい。円満寺をへて逆川近くの平将門十九首塚を訪ねた。天慶3年(940)、藤原秀郷は平将門を討伐し、将門以下家臣19人の首をもって上洛中、この地で勅使と会い、首を洗って検視をして、路傍に捨てたという。それでは哀れと19首を供養した。墓には19人の名前も刻まれている。
大池橋を渡るとやがて立派な松並木(岡津~原川)がみえる。袋井宿にいたる道には何か所か松並木がつづく。土塁がある松並木もある。やがて日蓮聖人の両親の墓がある妙日寺。その隣の袋井東小学校には60番目の久津部一里塚がある。ふたたび松並木を過ぎた所にみごとな彫刻で飾られた木製屋型の秋葉山常夜灯がある。江戸時代は、火伏の神様である秋葉山大権現への信仰がさかんであったという。このような屋型常夜灯は初めてみた。
袋井市役所近くに「東海道どまん中茶屋」がある。のんびりと休憩ができてお茶もいただいた。茶屋はボランティアの人たちが運営している。東海道53次の宿場のちょうど真ん中。江戸、京都からも27番目が袋井。本陣3軒、旅籠50軒、人口843人(1843年資料)の宿場だ。
東本陣の場合、敷地は1068坪、建物は288坪あった。説明板には、元和4年(1618)から寛永11年(1634)までの「本陣御宿宿帳」が紹介されている。本陣の宿泊・休憩状況、本陣の経営などを解説している。本陣経営も苦しいことがわかる。本陣跡は公園になって袋井宿の概要をイラストなどで案内してわかりやすい。
太田川を渡ると右側に「遠州鈴ヶ森」の看板がある。急な石段を上ると草におおわれた碑がある。「白波五人男」のモデルになった日本左衛門の首をさらした所だ。それをすぎると見付宿の木戸跡、また見付宿(磐田市)を一望できる愛宕神社がある。見付宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠56軒があった。問屋場跡、本陣跡などの標識がある。市街地には「がんばれジュビロ磐田」ののぼり旗がめだつ。
やがて白亜の建物・旧見付学校がみえてきた。国史跡指定の現存する日本最古(明治8年)の木造擬洋風小学校校舎。その5階建ての学校内部を見学した。明治の学校制度(教科書、修業証書など)がよくわかる。明治期の授業風景も再現されている。机には教科書と石盤が置かれ、よくみると石盤には石筆と石盤拭きがある。紙が貴重な時代の学用品だ。
やがて街道を直進すると姫街道(池田近道)、左にまがると旧東海道の道だ。JR磐田駅への道でもある。やがて右側に国の特別史跡・奈良時代の遠江国分寺跡がある。当時、国分寺(僧寺)・国分尼寺は全国に60か所に建てられたという。昭和26年(1951)から発掘調査がされ金堂、講堂、中門、南大門などの位置・規模はわかっているが、いまも発掘調査中だ。
また道路左側には鎮守の森にかこまれた府八幡宮がある。ここも奈良時代に創建したという古い神社だ。寛永12年(1635)に建立した楼門は静岡県の指定文化財だが、いま解体・修復作業中であった。次回は磐田駅から天竜川を渡ることになる。