自宅からJR清水駅まで各駅で4時間半。清水駅10時スタート。きょうから2泊3日の予定で東海道ひとり旅。天気予報では晴れが期待できそうだ。
清水銀座をへて巴川を渡る前に魚町稲荷神社を訪ねた。小さな神社に大きなサッカーボール(1.6m)の「日本少年サッカー発祥の碑」。サッカーで有名な清水には、50年以上前から江尻小学校(江尻城跡)で子どもたちにサッカーを教えていた先生がいた。小学校隣の稲荷神社にサッカーボールは珍しい。
巴川を渡る橋(稚児橋)には河童伝説がある。徳川家康がこの川に橋をかけ、そのセレモニーで人が渡ろうとしたときに川から河童が現れ突然姿を消したという。道をすすむと、左側に久能山にむかう追分道標がある。
その角に元禄8年創業という「追分ようかん」がある。ここの若い店員さんに「この近くに清水次郎長の子分・森の石松を殺した男の供養塔があるのをご存じですか」と聞いたが、知らないという。その墓標(遠州都田の吉兵衛)はすぐ先のコンビニ前にあった。彼は清水一家に討たれ、憐れんだ里人が供養したという。
さらにどんどんすすむと43里目になる草薙一里塚跡がある。やがて草薙神社の大鳥居がある。鳥居の下に元禄12年(1699)の参道道標がある。ここから1.2kmとあり、お参りすることにした。この神社は日本武尊を祭っている。境内には龍勢(流星)煙火というロケット型の「のろし」が置かれている。昼(煙)と夜(光)の「のろし」だ。
どこで道をまちがえたのか、草薙総合運動場、東静岡駅にむかっていた。このあたりの東海道コースはむずかしい。静岡鉄道の長沼駅方面にもどり東海道を歩いた。駅近くに一里塚があるはずだ。ご近所の何人かに聞いたが知らないという。よく探すとゴミ箱とブロック塀の間に小さな杭の「長沼一里塚」があった。これでは簡単に気づかない。
駿府城下町に入る横田町に東見付がおかれていた。いよいよ伝馬町通りだ。右にまわって高台の清水寺へ。今川の家臣が創建したという寺は山頂まで階段の道がある。徳川家康が建立した観音堂などがある。また松尾芭蕉の「駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ」など歌人の句碑がある。
人質として駿府に来た竹千代(家康)が住職から手習いを学んだ華陽院にもよった。家康の祖母の墓もある。参勤交代した大名はこの寺に必ずお参りしたという。いまは保育園の子どもたちの声が聞こえる。府中宿(静岡市)は品川から19番目の宿場。本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠43軒、人口は1万4千人(1843年資料)という大きな宿場であった。
伝馬町通りには「下伝馬本陣・脇本陣跡」「上伝馬本陣・脇本陣跡」などという御影石案内の目印しかない。その先には西郷・山岡鉄舟会見之史跡がある。慶応4年(1868)3月9日、官軍の江戸城総攻撃が目前に迫るなか、山岡鉄舟・西郷隆盛が江戸城無血開城の交渉をした跡(伝馬町・松崎屋源兵衛宅)だ。このあたりは1940年の大火と45年の静岡大空襲によって全焼してしまった。