旅日記

2014年10月22日(水)興津→江尻へ 11.2km

掲載日:2014.10.22

2014.10.22 朝から雨模様だ。興津駅からまっすぐ清見寺へ。8時半前に寺に着いた。大きくて立派なお寺さんにびっくりした。8時半から拝観の受付だ。まずは江戸中期に彫像された五百羅漢を見学。いろいろな表情をした石像がおかれている。
 清見寺は、室町時代には日本を代表する寺になっていたという。徳川家康が幼少の頃、人質となり教育をうけた「手習いの間」、江戸時代の朝鮮通信使が何回もこの寺に立ち寄っている。徳川幕府の手厚い保護をうけた寺といえる。
 元老の西園寺公望が晩年過ごした別荘「坐漁荘」は、開館時間10時まで間があり通り過ごした。道はやがて東海道本線の踏切を渡り延命地蔵尊にでた。ここにある常夜灯に「東日本大震災復興祈願」の紙が貼られていた。
 さらにすすむと「細井の松原」の看板。元禄16年(1703)の記録では206本の松があり「松原せんべい」を売る茶店もあったという。細井の松原は、第二次世界大戦中のとき松根油(航空機燃料)の原料として伐採されてしまったそうだ。
 もう江尻宿だ。江尻といってもわからないが、旧清水市といえばピンとくる。この地は清水次郎長と三保の松原が思い浮かぶ。
 まずは清水次郎長(1820~93)の墓がある梅蔭禅寺へ。拝観受付でなつかしい浪曲師・広沢虎造の声が聞こえてきた。子どもの頃ラジオで聞いた「馬鹿は死ななきゃ治らない…」なんという節はいまでも思い出す。清水次郎長、お蝶、石松、大政、小政などの墓が仲良く並んでいる。近くの生家も訪ねた。間口の狭い家に入ると、古い行李や仏間などがある小さな部屋。家のなかに井戸もある。次郎長は博徒の親分と思っていたが、明治になってから清水港の振興、英語塾、富士の裾野の開墾などの功績があったことがわかる。
 もう一つ、富士山世界遺産の構成資産になった三保の松原。御穂神社から羽衣の松まで樹齢200年ほどの長い松林がつづく。三保の松原は万葉歌人に詠歌されるほど古くから親しまれている。浜辺に近いためか、松の枝はいろんな方向に伸びている。「羽衣の松」は平成22年10月、数世紀ぶりに世代交代がされたと記されている。「国指定名勝・三保松原」の維持も大変に違いない。老松の木に何枚も小さなプレートがとじられている。よくみると「白蟻防除処理済」と読める。
 世界遺産の構成資産になった三保の松原は、さすが観光客が多い。ぼくの前には中国人グループが写真を撮りあっていた。ふたたび雨がふりはじめた。ほんぶりの雨だ。これから江尻の宿場コースを歩くのはつらい。寄り道しすぎたので、次回にしたい。

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