JR三雲駅午前10時40分スタート。踏切を越えて前回見過ごした「天保義民の碑」を見学。天保13年(1842)、庄屋など村役人に指導された数万人の農民が幕府の不正な見地に抗議した百姓一揆の碑だ。多くの犠牲者をだしながらも「検地10万日延期」の証文を勝ちとったという。幕末の幕藩体制が疲弊した時代だ。見上げるほどの大きな碑は明治31年(1898)に建てられている。
石部へ歩いていくとアーチ型の石造りトンネルがみえてきた。明治18年(1885)に築造された「大沙川隧道」だ。このトンネルの上に天井川があるという。トンネルの左側には樹齢750年といわれる弘法杉の大木がある。トンネルの上にあがってみた。小さな川が流れている。大沙川は、いつのまにか川底が周辺より高くなってできた天井川だ。なんとも不思議な光景だ。この旧東海道筋にはアーチ型のトンネルが大沙川、由良谷川、家棟川の順につくられた。
きょうは雪がときおり舞い、とても寒い。近くに国の天然記念物に指定されている「ウツクシマツ自生地」がある。根元からいくつにも幹が伸びている珍しい松がある。街道から離れて片道1kmはあるが、訪ねてみる価値はありそうだ。坂を上っていくと、幹が多数わかれている松がみえてきた。約2ヘクタールの山に特異な樹形の松が自生している。旧東海道では何回も松並木をみてはきたが、これは珍しい松だ。最近の研究では、どうもこの特異な樹形は「劣性遺伝の影響」によるらしい。
東海道にもどるとやがて石部宿(湖南市)の東の見付跡がみえてきた。51番目の石部宿は本陣2軒、旅籠32軒(1843年資料)があった。近くにお寺さんは多くあるが、いまや宿場の面影はない。高札場跡、問屋場跡にくると雪が本格的に降ってきた。近くにお店があったのでしばらく待避。ここで椅子をだされお茶をいただく。ご近所の人も買い物にきていてしばらく昔話に花が咲いた。雪がこぶりになってきた。お礼をのべて店をでた。
小島本陣跡などを見学した後、石部一里塚をとおりJR石部駅にむかった。雪がふたたび降りはじめた。石部は京都を出発した旅人が最初に泊まる宿場だったという。こちらは寄り道しながら江戸時代の三倍の時間をかけている。むりをしないで切り上げた。