旅館の植木に雪が積もっている。とても寒い朝だ。午前7時半、国道1号沿いにある高さ9m余の「平成万人灯」をながめた後、土山宿の大黒屋本陣跡を確かめて、水口宿へむかう。しばらく歩くと歌声橋に着いた。ここからみる野洲川の雪景色はすばらしい。
どんどん歩くと、やがて松並木がみえる。若い松が多く古木は少ない。田んぼをながめ、いくつかの町並みを通過してひたすら歩きつづける。やがて水口宿(甲賀市)の東見付(江戸口)跡がみえてきた。江戸から50番目の水口宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒があった。本陣跡、高札場跡、問屋場跡などをみて、ちょっと旧道を離れて水口神社、水口歴史民俗資料館にむかった。途中に曳山祭用の曳山蔵があった。江戸時代中期から水口神社の春祭りに使用される曳山(山車)だ。
水口神社は平安時代の延喜式に記録されている古い神社。境内には祖母が赤ちゃんを抱いて、一家総出の宮参りの人たちもいた。水口神社の春祭りに使われる曳山が歴史民俗資料館にあった。現存する曳山は16基。毎年交代して資料館で展示している。さらに水口城跡を見学。この城は三代将軍家光が上洛するのに伴い、宿館として築城されたという。その後、加藤明友が藩主になり水口藩の居城となっている。
旧道にもどり、人も車の往来も少ない静かな通りを何キロも歩く。やがて大きな常夜灯がみえてきた。横田渡しだ。案内板によると、野洲川はこのあたりでは「横田川」と呼ばれて、伊勢神宮や東国へむかう旅人は橋がないので、この川を渡らなければならない。江戸幕府の架橋禁止の川だ。増水期の3月から9月は船渡し、渇水期の10月から2月までは流路の部分に土橋をかけ通行させた、という。
巨大な常夜灯は高さ10.5m、文政5年(1822)増加する旅人の目印となるよう、万人講の寄進で建てられた。多額な費用を要しているので、寄進者名が刻まれている。鈴鹿峠にも「万人講常夜灯」があったが、「横田渡常夜灯」はもっと大きい。東海道で一番の巨大常夜灯だろう。
野洲川の横田橋を渡ると、JR三雲駅(湖南市)は近い。帰宅するには京都駅にでて新幹線が一番便利。今回は3泊4日の予定が、天候の関係で1日延びてしまった。日本橋からここまで歩いて来ると、京都・三条大橋まではあとわずかだ。