JR石部駅午前8時20分スタート。きょうは天気がよい。草津宿へひたすら歩く。マンホールのふたをみると栗東市に入っている。静かな町並みを歩くと、「茶碗屋安治郎」「糀屋太郎兵衛」などの屋号札がつけられている。
やがて「史跡旧和中散本舗」の豪壮な建物がみえてきた。「和中散」という薬を売る豪商の家で、大名や公家たちの休憩所にもなっていたという。建物だけでなく、「国指定名勝 大角氏庭園」の案内板もある。立派な家をながめていると、くぐり戸から女性がでてきた。「生活の場」なので公開日を設けているという。真向いには大角家住宅隠居所がある。隠居所は主屋が本陣として使われている間、家族の住居に当たられた建物だ。女性は「あそこに馬つなぎの環金具があります」と教えてくれた。確かに門の脇に何カ所か環金具がついている。
このあたりは石部宿と草津宿のほぼ中間で間の宿になっている。歩いていると連子格子の家がある。小さな版に「登録有形文化財 文化庁」とある。案内板はないが屋号札に「里内呉服店」とあった。さらに歩くと、「田楽発祥の地」の碑がある。ここ目川には3軒の田楽茶屋があり東海道の名物となった。
やがて旧草津川堤防へ。草津川はいま跡地整備工事中だ。橋を渡ると「横町道標」(草津宿の江戸方入口)がある。高さ3.9mの道標で、「左東海道いせ道 右金勝寺志がらき道」とあり、文化13年(1816)に建てられている。
狭い町並みを下りていくと東海道と中山道の分岐点にたつ「追分道標」が目につく。道標の脇に草津川隧道がある。このトンネルの上に草津川がある。ここも天井川だ。明治19年(1886)にトンネルができるまでは、この上の川を越せば中山道へいけた。道標には「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と彫られている。これも文化13年に建立されている。
52番目の草津宿(草津市)は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒(1843年資料)があった。追分道標の目の前には、国指定史跡「草津宿本陣」(田中七左衛門本陣)がある。敷地1305坪、建坪は468坪もある大本陣だ。
この本陣には元禄時代から明治までの大福帳が残されている。そのひとつの説明書に「7月4日に浅野内匠頭が銀弐枚で、9日後の7月13日には吉良上野介が金壱分で宿泊している。江戸城中での刃傷事件は、この2年後のことである」とあり、忠臣蔵で有名な2人が泊まった元禄12年(1699)の大福帳が展示されている。
ぼくは以前、この本陣を見学したことがある。いまでも鮮明に覚えていることがある。それは「上段の間」の奥にある雪隠(トイレ)。何畳かの畳敷きで「漆塗りの木製便器が据えられて、便器の下には木箱が置かれ、使用されるごとに、木箱がとりだされた。また床の間や掛け軸、香がたかれていた」というもの。もうひとつは湯殿。屋外で沸かした湯を運び入れ使用した。主客は白衣を着て浴びたというのを思い出した。よほど強烈な印象だったにちがいない。本陣の門をくぐったときこの記憶が妙によみがえった。
奈良時代の創建といわれる立木神社を参拝したのち、大津にむけて歩きはじめた。途中、矢倉橋を渡り、弁天池をながめて、JR瀬田駅に到着。明日は大津宿に入る。