旅日記

2014年9月19日(金)戸塚→藤沢へ 15.7km

掲載日:2014.09.19

2014.9.19 JR戸塚駅朝8時50分。駅近くの清源院長林寺へ。徳川家康の愛妾、お万の方の火葬跡がある。駅前のバスターミナルからすすむ。近くには内田本陣と沢辺本陣の案内板がある。本陣の間取りもあるが、内田本陣の場合は、間口18間、奥行14間、畳数は152畳あった。八坂神社、八幡神社を参拝の後、登り坂になる。国道沿いのため大型トラック、営業車などひっきりなしに通過。仮名手本忠臣蔵にでてくる「お軽勘平戸塚山中行の場」の碑がある。道路標識に日本橋から46km(戸塚区戸塚町)とあるが、ひとり旅はちょっと寄り道が多いので実際の距離はもっと多い。
 さらにすすむと浅間神社がある。参道に巨木が何本もある。スダジイと書いてあるが、椎の木。やがて藤沢市に入る。なだらかな坂の下に「踊り念仏」でしられる時宗総本山遊行寺がある。境内には樹齢700年ともいわれる大銀杏がめだつ。六地蔵(1660年建立)などを見学。藤沢宿は天保14年(1843)の宿場家数は919軒あったという。
 藤沢宿で印象に残った寺がある。飯盛女の墓がある永勝寺。山門脇にある説明文には「墓地の中に飯盛旅籠を営んでいた小松屋源蔵の墓があります。飯盛女の墓はこの源蔵が建てたものです。三十九基の四十八体の法名が刻まれています。飯盛女がいる旅籠は繁盛しましたが、藤沢宿には旅籠が四十九軒ありこのうち飯盛女を抱えたのは二十七軒ありました。一軒に二人ずつ置かれました。飯盛女は近くの農村や他国からも両親の借金の代償として半ば売られて藤沢に来たのです。旅人の世話や食事の給仕だけでなく男たちの相手にもなりました。飯盛女として悲しい一生を終えたのです。」
 飯盛女の墓は39基、うち38基が宝暦11年(1761)から享和元年(1801)まで小松屋の墓域にある。借金の形のなか苦界のなかで身を沈めた者が多い中、小松屋の温情がしのばれるとの説明文もある。ずらりと並んだ古い墓石をみると旅籠の歴史をみる思いだ。
 伝説の源義経の首洗い井戸、白旗神社を見学。茅ヶ崎方面へは距離があるので、午後3時半には歩くのをやめ、藤沢本町駅から帰路についた。

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