旅日記

2014年10月10日(金)三島→沼津→原へ 21.3km

掲載日:2014.10.10

2014.10.10 自宅を早朝にでて三島駅に到着。三嶋大社を9時半にスタート。幕末の三島宿は本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒、人口は約4千人いた。大社近くに問屋場跡、樋口本陣跡、道をはさんだ北側には世古本陣跡がある。三島宿は日本橋から11番目の宿駅で、箱根越えの拠点になった所だ。とはいえ、いまは小さな案内板・碑に気づく人は少ないであろう。
 三島広小路前の三石神社内に「時の鐘」がある。寛永年間から三島宿の人たちはこの鐘で時を知った。だが、第二次世界大戦でこの鐘も供出され、戦後はコンクリート建てに鐘がつるされている。川越の蔵造りのシンボル「時の鐘」(三層建ての鐘楼)とくらべると風情がない。
 さらにすすむと住宅地を流れる狭い水路がある。16世紀頃、三島の小浜池から清水町に疎水させた千貫樋がある。灌漑用水によって清水地区の耕地が恩恵を受けたという。しばらく行くと日本橋から29番目の一里塚がある。右側の玉井寺の一里塚は昔の姿を残しているが、左側の宝池寺の一里塚は昭和60年(1985)復元されたものになっている。
 黄瀬川橋近くに八幡神社がある。治承4年(1180)平家追討のため鎌倉から出陣した源頼朝と奥州からかけつけた義経が、涙ながら初めて対面し、平家打倒を誓ったという石がある。境内に二個の対面石。これも伝説だろうがストーリーとしてはおもしろい。
 にぎやかな沼津市に入ってきた。三枚橋城と沼津城があったという中央公園に寄ってみた。三枚橋城は天正7年(1579)に築城されたが、しばらくして廃城になった。その後の安永6年(1777)水野忠友が沼津城を築城したが、いま城跡のふんいきはまったくない。沼津宿は三島宿と同じぐらいの宿場だ。ここも残念ながら宿駅の面影はない。
 ちょっと寄り道して近くの乗運寺へ。ここに戦前の歌人・若山牧水(1885~1928年)の墓がある。手入れがゆきとどいたお寺さんだ。どうりで「乗運寺とその周辺」は静岡県都市景観賞を受けている。千本浜公園にいくと若山牧水記念館があり、ここに立ち寄った。ぼくの住む所沢市神米金の若山家に牧水の歌碑がある。牧水の祖父・健海はこの地で生まれた。牧水が早大在学中に祖父の生家を訪ねている。
 ふたたび東海道へ。晴れているので富士山がよくみえる。また千本松原に入る。若山牧水旧居跡を訪ねたが、いまはアパートになっている。千本松原は防風・防潮のための松林。その長さは狩野川河口から田子の浦港まで約10km、千本とはいうものの松は30万本以上といわれている。
 八幡宮近くに沼津藩領西傍示杭がある。沼津藩の東西の領域範囲を示す大きな石柱。東にもあるのだが、まったく気づかなかった。説明板によると、傍示杭は「江戸時代、天領や私領の入り組んでいるところでは、人々に領域の所在をはっきり知らせる必要があり、そのため街道の傍らに立てたもの」とある。
 もう夕方に近いが、右側にあいかわらず富士山がくっきりとみえる。原駅に入る手前に白隠禅師ゆかりの寺・松蔭寺に立ち寄った。白隠禅師は臨済宗を復興させた名僧。当時「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山と原の白隠」といわれたという。わが家の近くに所沢では珍しい臨済宗の勝光寺があるが、旅ではじめて白隠禅師を知った。

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