旅日記

2014年10月2日(木)箱根→三島へ 22.9km

掲載日:2014.10.02

2014.10.2 朝9時前、箱根公園を散歩。入口に唱歌「箱根八里」の「箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず……」の大きな歌碑があった。公園はきれいに管理されている。湖畔を散歩してから2007年に復元整備された箱根関所を見学した。隣の関所資料館には、さまざまな手形、「出女」の取り調べ、箱根宿の地図などの資料が展示されている。
 芦ノ湖の湖畔にある箱根宿は本陣6軒、脇本陣1軒、旅籠72軒(1843年資料)があった。宿は小田原宿、三島宿から集めてつくった。宿の町名は小田原町の本陣4、三島町の本陣2となっているが、いまはその跡かたもない。
 三島にむけて歩きはじめる。正月の楽しみのひとつに箱根駅伝がある。ブロンズ像の「栄光の碑」などをみる。国道1号線にそってひたすら歩く。やがて道の駅で小休止。箱根峠にかかる挟石坂を過ぎると標高846mの箱根峠の交差点に着いた。ここを下りると右に旧街道の道がある。ここはもう静岡県三島市だ。
 芦ノ湖カントリークラブの道に旧街道(茨ケ平)の案内板があった。石柱には「是より江戸二十五里 是より京都百里」とある。25里は約100kmになるが、各地で寄り道をしているので、すでにぼくは150km以上歩いたことになる。
 さて旧道の入口はまるでシノ竹のトンネルだ。両脇からの竹が天をふさいでいる感じになっている。接待茶屋・山中城跡方面の印がある。石畳の道は竹が伐採されているので通りやすい。やがて接待茶屋の説明文がある。山のなかを下りていくと、かぶと石、さらに明治天皇御小休止の碑がある。さらに旧道の石畳をすすむと、コスモスがたくさん咲く人家の脇にでた。
 国道を渡りふたたび旧街道に入った。いままで歩いてきた石畳の道とは違う。近くにある旧街道の説明板には、三島市が旧道を復元整備し、石畳の幅は二間を基本にしたとある。とても歩きやすい。やがて中世の山城、国の史跡になっている山中城跡に着いた。この城は永禄年間(1560年代)に北条氏康が築城したという。しかし、天正18年(1590)3月、圧倒的多数の豊臣軍に総攻撃されて落城している。戦国時代末期の山城がこんなに大きく、しかも堀や土塁などがよく残っているのに驚かされた。
 三島にむけて石畳の旧街道を歩く。雨が降りはじめた。やがて国道1号にでる。地図だと旧街道の道はあるのだが、笹原山中バイパスの工事中で通行止め、大型トラックが通る国道を歩かざるをえない。ガードレールはあるが、ススキが生い茂って歩きづらい。右側の山腹に建設中の高い建物がみえる。工事関係者に聞くと「歩行者専用の400mの日本一のつり橋」とのこと。
 やっと旧街道に入れた。急坂の下長坂、俗に「コワメシ坂」と呼ばれている。坂を下ると旧国道1号にでた。人も車も少ない。道路出口の角に「箱根路」と彫られた巨石がある。さらに進むと松並木が見える。松並木をはさんで対で残っている一里塚がある。国指定史跡の28番目の錦田一里塚だ。道路脇の歩道は石畳に整備されていた。
 いよいよ三島宿の出入り口の新町橋を渡った。もう午後5時を過ぎた。急いで三嶋大社にお参りした。源頼朝が平家打倒の戦勝祈願をしたという大社だ。国の天然記念物の樹齢約1200年といわれるキンモクセイがひときわ目についた。一泊の旅を終えて、JR三島駅から帰宅へ。

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