旅日記

2014年10月1日(水)箱根湯本→箱根へ 13.4km

掲載日:2014.10.01

2014.10.1 箱根湯本駅を午前8時40分スタート。これからは日帰りがきつくなるので箱根で一泊の予定だ。三枚橋を渡ると坂道がつづく。「〽箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず 万丈の山 千じんの谷……」と口ずさんだが、うろ覚えでつづかない。
 まずは北条五代の墓がある草雲寺へ。天正18年(1590)豊臣軍と戦った北条氏は敗北。墓は17世紀に建てられている。境内には天正18年小田原攻めの時、石垣山の一夜城で使用した梵鐘もある。
 22番目の一里塚を過ぎると箱根旧街道入口の案内板。旧街道の石畳は国の史跡指定になっている。江戸幕府は東海道に延宝8年(1680)石を敷いた。石畳には大小の石が敷かれ、運動靴でも歩きづらい。まして江戸時代のわらじの旅はどうだったのだろうか。だがここはまだゆるやかな坂。箱根の険しい山道の石畳はこれからだ。
 目的地の元箱根までは登り坂。坂には女転し坂、割石坂などいろんな名前がついている。箱根湯本から元箱根までノンストップの徒歩で4時間半かかるという。寄り道が多いので夕方までにつけばいいと思っている。箱根は寄木細工の店が多い。畑宿の寄木会館で寄木のマウスパットを買った。この会館で昼食(持参)休憩。
 江戸より23番目の畑宿一里塚がある。説明文によると「東海道の一里塚は二代将軍の徳川秀忠の命により、慶長9年(1604)からつくられ、完成したのは慶長17年であった」とのこと。発掘調査や文献をもとに左右に復元整備された塚がある。
 これから先、国の史跡指定の凹凸のある石畳の坂がつづく。この坂には、石畳の斜め排水路、石畳の構造の説明板がある。コケのむした石、石畳というより大小のでこぼこ石があり、油断すると足をくじいてしまう。濡れているのですべりやすい。石畳以前の道は雨や雪の後はたいへん難儀したにちがいない。石畳を過ぎると、また現代の道路。眼下を眺めると山に霧がたちこめている。さらに急なかしの木坂の階段を上がる。
 やっと甘酒茶屋がみえてきた。その手前の箱根旧街道休憩所に立ち寄った。江戸から東京に変わったとき明治天皇が箱根路を通った。天皇は明治元年(1868)9月20日京都を出発、10月13日皇居に到着。総員は2500人、24日間を要したという。小田原宿でも明治天皇の碑があった。
 隣の甘酒茶屋で甘酒を飲んで、ふたたび石畳の道を歩きはじめた。道幅は約3m強、石畳の幅は1.8mぐらいだ。途中、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の石碑がある。やっと権現坂に着いた。石畳を下りると目の前に杉並木。芦ノ湖には遊覧船が浮かんでいた。巨木杉の下に24番目の一里塚があった。午後5時過ぎ宿にむかう。

写真

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