新安城駅8時スタート。駅から北へ約500m歩くと旧東海道へ。松並木を過ぎると、やがて猿渡川に着く。すぐに「従是四丁半北 八橋 業平作観音有」(元禄9年)の無量寿寺道標がある。さらに83里目の来迎寺一里塚がある。愛知県指定文化財(史跡)の対の一里塚だ。塚上の木はエノキではなく松が植えられている。塚の大きさは、約9m四方、高さ約4mに土を盛りあげている。
やがて500m近く知立(ちりゅう)の松並木がつづく。松並木の西側に「馬市の跡」があり、馬の彫像がある。松並木の両側に空地をつくり、馬をつないでいたという。東海道からちょっと離れた慈眼寺にも「馬市の跡」がある。馬市は毎年4月頃、松並木に400~500頭の馬がつながれていたが、明治になってこの慈眼寺に移ったという。
江戸・品川から39番目の池鯉鮒宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒の小さな宿場だ。マンション前の問屋場跡をみて、さて池鯉鮒(ちりゅう)宿か知立宿か、どちらかな、と迷ってしまう。「池鯉鮒銘菓」と看板がある和菓子屋でたずねた。中に入るとご近所の人が何人かいる。まんじゅうを食べ、お茶を飲みながら、江戸時代は池鯉鮒宿、それ以前には知立、智鯉鮒もあったね、とうんちくを傾ける人もいた。
本陣跡を確かめた後、知立神社にお参りした。大鳥居をくぐると、均整のとれた多宝塔(国指定重要文化財)、半円形にそった太鼓橋(石橋)などが目につく。知立神社は近世、熱田神宮、三嶋神社と並び東海道三社に数えられたという。
近くの総持寺前の歩道マンホールに「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ 伊勢物語」の文字が彫られている。これは珍しい。後で調べてみると、三河八橋はかきつばたの名勝地で、平安時代の歌人・在原業平が、「か・き・つ・ば・た」の文字を句頭に詠んだものとわかった。
逢妻川を渡ると、国道1号と合流。道は合流したり、離れたりで、やがて三河と尾張の境になる境橋を渡ると、やがて国指定史跡「阿野一里塚」に着く。道の左右に一里塚が残っているのは珍しい。
小雨が降ってきた。あと約1kmも歩くと「戦人塚」がある。小高い丘に上がると、国指定史跡「戦人塚」がある。桶狭間の戦いにおける戦死者を曹源寺の和尚が埋葬供養した塚といわれ、元文4年(1739)の180回忌の供養祭に建碑したという。
雨はほんぶりになってきた。午後4時過ぎ、名鉄・前後駅(豊明市)から帰宅へ。次回は、今川義元と織田信長の歴史的な戦いの場である桶狭間の古戦場を訪ねることになる。