旅日記

2014年12月19日(金)岡崎→池鯉鮒へ 20.2km

掲載日:2014.12.19

2014.12.19 名鉄・美合駅を午前8時前にスタート。旧東海道から乙川を渡る。やがて右側に「大岡越前守陣屋跡」がある。「大岡裁き」で知られる大岡越前守が1万石の大名になってから明治まで、西大平藩主の大岡家の陣屋がおかれていた。いまは陣屋の立派な門が復元されている。説明板によると大岡家は、「江戸に常駐する定府大名で、参勤交代はなかった。家臣団の大部分は江戸藩邸に住んでいた」という。
 さらに歩くと日本橋から80里の「大平一里塚」がある。国指定文化財の史跡で、元は左右に塚があったが、昭和3年の道路改修で壊されてしまった。一里塚にエノキが多いのは、エノキは根張りがよく塚の崩落を防ぐ目的もあるという。
 やがて、三叉路の角に「岡崎城下二十七曲り」案内の石碑が目についた。ここは岡崎宿の東端に位置している。徳川家康は天文11年(1542)、この地の岡崎城内で生まれた。城下町はくねくねした道が多い。ここ二十七曲りもそうだ。
 岡崎宿は、本陣3軒、脇本陣3軒、旅籠113軒、人口は6494人(1843年資料)という大宿場だった。いま伝馬町には伝馬歴史プロムナードがある。この通りには「朝鮮通信使」「御茶壺道中」「飯盛女」「人馬継立」「御馳走屋敷」など小さな石彫と解説文がある。いまは宿場のふんいきはないが、せめてこれらをみて宿場の歴史を感じて欲しいという願いがこめられている。
 岡崎公園内にある「家康館」「岡崎城」などを見学した後、中岡崎駅近くの八丁味噌の老舗の蔵を通って、国道1号の矢作橋(やはぎ)を渡る。この矢作橋は架橋ができなかった江戸時代には、東海道では最長の木橋だった。この橋は、広重の「東海道五十三次 岡崎宿」にも描かれている。
 矢作橋を渡り、池鯉鮒宿(ちりゅう)にむけて、ひたすら何キロも歩く。途中、矢作神社、誓願寺、熊野神社などに立ち寄る。この旧東海道には松並木がときどきつづく。永安寺(安城市)には樹齢300年といわれる松の巨木がある。この松は上へ伸びず、地をはうように枝が伸びている。永安寺の「雲竜の松」と呼ばれている。どうしてこのような枝振りになったのかわからない。じつに見事な松だ。まだ午後4時半だが、この季節は日が暮れるのが早い。近くの名鉄・新安城駅で宿泊先にむかった。

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