大谷駅8時半スタート。きょうは三条大橋をめざして最後の東海道歩きとなる。しばらく国道1号を歩く。道路標識をみると日本橋から487kmとある。左側に月心寺の塀がみえてきた。早い時間なのでなかには入れない。
国道を離れて旧東海道を歩く。お寺の前に「車石・車道」の案内板が目についた。「大津・京都間三里の道には物資を運送する牛車の通行を楽にするために、花崗岩の厚板石が敷きつめられていた。これが車石で、溝は牛車の頻繁な通行によってすり削られてできたものである」と。境内にはすり減った車石がおいてある。
坂を下ると「三井寺観音道」の道標、このあたりまでが大津市になっている。京都市山科区に入ってきた。「山科地蔵徳林庵」(六角堂)がみえてきた。この地蔵尊は1157年に後白河天皇の勅令で京の都の主要街道に六ヶ所に安置されたという。住職さんがわざわざ六角堂を開けてくださった。
しばらく歩くと天智天皇陵の入口がある。天智天皇(一般には中大兄皇子といえばなじみがある)の山科陵まではかなり長い道になっている。静かな常緑樹の道、杉木立の道をすぎるとやっと陵につく。後に天皇になった中大兄皇子は「大化の改新」時代の人だ。
狭い旧東海道を歩くとふたたび国道に合流する。左手には広大な京都市の蹴上浄水場がある。三条通りにでてきた。三条大橋まで間近だ。はやる心を抑えて近くのお寺さんを拝観しよう。まずは天台宗の青蓮院へ。建物、庭など境内全域が国の史跡に指定されている。由緒ある建物内の見学、池を中心としたのびやかな庭などを散策した。さらにお隣の知恩院も見学した。いま知恩院の御影堂はすっぽり囲まれて大修理中だ。
三条通りに「史跡三条白川橋道標」がある。延宝6年(1678)建立で、「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」とある。あと少しで三条大橋だ。橋の手前に京都御所にむかって拝礼している「高山彦九郎銅像」がある。
さあ、いよいよ三条大橋を渡りはじめた。三条大橋のシンボル、擬宝珠(ぎぼし)をバックにVサインをして、記念写真を通行人にお願いした。日本橋から三条大橋までの距離は約500km、江戸時代は14日間の旅が普通だったという。寄り道しているぼくの場合は約760km、41日間かかった。ついに東海道53次を完歩した。
三条大橋を渡りきると、「東海道中膝栗毛」(十辺舎一九著)の主役である弥次郎兵衛と喜多八の像があった。二人に負けずに、ぼくの東海道ひとり旅は無事に終わった。