井田川駅朝9時スタート。すぐ前が旧東海道だ。和田一里塚跡をすぎると、昔の屋号札があちこち目につく。古い建物が消えていくのを憂えた人たちがつけたものだ。「さかんや跡」「こんにゃくや跡」「こめや跡」「たばこや跡」「とぎや跡」などがある。やがて亀山城下の東になる江戸口門跡、右に曲がると本陣跡などがある。亀山宿(亀山市)は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒しかない城下町の宿場だ。
現在の亀山城跡は多門櫓、石垣、土塁、堀の一部が残されているにすぎない。また家老職の加藤家屋敷跡には長屋門などが残っている。連子格子の商家「枡屋」をはじめ、屋号札が随所にある。やがて亀山宿の西端になる京口門跡につく。いまは橋がかかっているが、江戸時代は歌川広重の「雪晴」をはじめとする風景画の舞台になっている。
さらに西へ歩くと国の史跡「野村一里塚」(105里目)がある。塚の上には樹齢400年の椋(ムク)の巨木がある。これは立派だ。元は南北に塚があったが、南側は大正3年に取り去られたという。三重県には桑名宿から坂下の間に12カ所の一里塚が設置されたが、いま残るのはこの一里塚だけだ。貴重な遺跡になっている。
道をどんどんすすむと、鈴鹿川沿いの大岡寺畷につく。JR関西本線を越えると、関宿(亀山市)の東にあたる東追分に入る。東海道と伊勢別街道の分かれ道になる追分には、鳥居と常夜灯がある。ここからは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。電柱もなく、江戸時代にスリップしたかのような連子格子の家々がつづいている。関宿は東西約1.8kmもある。旅人には「保存地区」はありがたいが、生活の場の地元の人たちはどんな思いだろうか。
宿場を理解するために、まず「関まちなみ資料館」に寄ってみた。間口は狭いが奥行のある町屋建築だ。帳場、箱階段、銭箱などの民具、本陣などの説明コーナーがある。もうひとつの大旅籠「玉屋」も見学した。店の間、客室、旅の持ち物、食器、土蔵(浮世絵展示室)などがある。町並みにでると、馬つなぎの環金具がついている家もある。この地区内の建造物のうち江戸・明治期のものが半数をしめているという。関宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒、人口は1942人(1843年資料)がいた。
宿泊先(国民宿舎)に近い地蔵院を最後に見学した。奈良時代に創建という古いお寺さんだ。本堂、鐘楼、愛染堂の三棟が国の重要文化財に指定されている。明日は関宿の西追分を通って鈴鹿峠を越える予定だ。峠の天気はどうなるであろうか。