名鉄・本笠寺駅午前8時スタート。昨夕は笠寺観音をみられなかったが、朝から境内は衣類、食べ物、しめ飾りなどの露店の準備が始まっている。ご住職にきくと「好天なら境内で六の市が開かれます」とのこと。境内には、宮本武蔵の碑、藤原兼平の玉照姫の碑などがある。
名鉄の踏切を渡り、国重要文化財指定の富部神社、長楽寺などに立ち寄る。さらに境内に「年魚市潟(あゆちがた)勝景の碑」がある白毫寺をめざしたが、山崎橋にでてしまった。橋のたもとにある小さな和菓子屋さんに聞くと、それほど遠くない。まずはここで一服することにした。さつまいもと小麦粉、砂糖でできたまんじゅうをひとつ買う。珍しい味だ。これから「七里の渡し」にいくと話すと、「うちの姑は明治の頃、桑名から船でこの橋までやってきたの」と。一瞬、桑名から船でここまでと疑問に思ったが、ありうる話だ。
「年魚市潟勝景の碑」のある寺を訪ねた。この地は「あいち」と転じ、県名の語源となったといわれる。寺の奥に大正9年に建てられた大きな碑がある。この高台に立ってみると、遠浅の地形がよくみえたにちがいない。
さらに歩くと国道1号と合流。JRの踏切、名鉄のガードをくぐると、裁断橋跡(宮宿の東のはずれを流れる川の橋)、都々逸発祥之地碑がある。このあたりは旧東海道の伝馬町。宮宿(熱田)は、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒という大宿場だ。とはいえ宿場の面影はまったくない。
伝馬町の西橋に「道標」がある。案内板によると、ここは「江戸時代、東海道と美濃路(又は佐屋路)の分岐点」であった。道標の四面にはそれぞれ道案内が刻まれている。やがて「七里の渡し」(宮の渡し)に到着した。ここは宮宿から桑名宿を結ぶ東海道の海上七里(約28km)の渡し場跡。常夜灯や「時の鐘」やぐらが復元されている。
いまや名古屋港沿岸は埋め立てられ、かつての渡し舟の海路は想像がつかない。渡し舟は30~50人乗りの船で、天候や潮の状態などで左右されるが、航路は3~4時間位だったという。海上を避ける脇往還の佐屋街道もあったが、佐屋から桑名までは、やはり「三里の渡し」の船を利用した。
宮宿の東海道は「七里の渡し」でストップ。ここまで来たからには、近くの熱田神宮へ。本宮にお参りしたのち、広大な境内を歩くことにした。二つほど珍しいものをみつけた。一つは「佐久間灯篭」。高さは8mもあるみごとな灯篭。もう一つは「信長塀」。織田信長が桶狭間の戦いで勝利したお礼に奉納したという塀だ。
ついでに名古屋市博物館にも寄った。時間の関係で、常設展のうち「尾張の統一と信長・秀吉」「尾張藩の成立」「城下町の人々」「近世尾張の文化」にしぼって見学した。明日は名古屋から電車で桑名(三重県)の「七里の渡し場」を訪ねることにしよう。