JR弁天島から橋を渡り新居宿へ。新居町駅(湖西市)をすぎると国の特別史跡・新居関跡と新居関所史料館がある。東海道には箱根の関所、そして新居の関所があった。新居関所は慶長5年(1600)に設置されたが、地震や津波で何回か移転している。現在の建物は幕末の頃の建築で、全国で唯一現存する関所建物になっている。
関所入口の手前に堀がある。これは渡船場跡。いまでは想像できないが、ここまで船できて関所に入った。とくに関所では「入り鉄砲と出女」に目を光らせていた。中に入ると、面番所、関所常備武具、関所役人(新居関では40人前後が交代で勤務)のマネキン、あらため女の部屋などがある。また史料館には関所関連の資料、旅姿などが展示されている。
近くの旅籠・紀伊国屋も見学できる。紀伊国屋は昭和30年代まで250年間旅館業をつづけてきたという。幕末の旅籠建築を色濃くのこしている。この旅籠の裏に大正・昭和初期の芸者置屋「小松楼」(国指定文化財)がある。大正初めの頃は置屋兼小料理屋も営業していたという。道を西にすすむと本陣跡、寄馬跡、一里塚跡などの案内板がある。棒鼻跡の案内板、これは新居宿の西側で、一度に大勢の人が通行できないように土塁を突き出て桝形にしていた所だ。
さらにすすむと白須賀宿(湖西市)のマップの案内板を目にした。海に近い元町の町は連子格子の家が多い。やがて急な潮見坂がある。頂上近くの歴史拠点施設「おんやど白須賀」で宿場の展示をみる。白須賀宿はもともと海沿いにあったが津波で高台に移転した。古い町並みを歩いていくと直角に曲げられた道がある。曲尺手(カネンテ)というそうだ。
やがて道は国道1号と合流、何キロも国道をひたすら歩く。国道を離れ、新幹線のガードをくぐり、東海道本線の踏切を越えると二川宿(豊橋市二川)だ。格子のある家が多い。妙泉寺の松尾芭蕉句碑の紫陽花塚を見学。二川八幡神社を過ぎると二川宿本陣についた。
この本陣は、文化4年(1807)から明治3年(1870)まで馬場家が本陣職を務めた現存の建物だ。建坪は233坪余で立派な上段の間もある。となりの二川宿本陣資料館には、参勤交代の経路、大名行列の人数などの説明、立派な駕籠、庶民の旅姿も展示している。二川宿の町並みは、商家「駒屋」など江戸時代にスリップしたかのような古い建物がたくさんある。すでにあたりは暗くなってきた。あすはJR二川駅から吉田宿を歩くことになる。