旅日記

2014年12月17日(水)吉田→御油→赤坂へ 20.4km

掲載日:2014.12.17

2014.12.17 豊橋駅午前9時半スタート。突然の解散・総選挙で裏方の仕事を手伝うことになり、1カ月ぶりの東海道歩きとなった。朝から寒風が吹き荒れ、豊川の流れも波がたっている。さらに豊川放水路を渡るときには、突風でからだが思うように前に進まず、帽子も吹き飛ばされそうになった。
 歩いてもからだがしんしんと冷えてくる。途中、「古民家カフェ もくせいの花」(豊川市宿町)をみつけた。築80年ぐらいの民家をカフェにしている。ここのお店には障害者のスタッフが働いている。お客さんも多く、地域の人たちのコミュニティの場になっている。
 ふたたび御油宿にむけてひたすら歩くと、白壁の大社神社がみえてきた。この近くの御油一里塚跡には「江戸日本橋ヨリ76里」とある。やっと御油宿に入ってきた。御油宿(豊川市御油町)は本陣4軒、旅籠62軒があった。
 この町には、「御油の松並木資料館」がある。小さな資料館には、宿場の模型、浮世絵、お膳、鏡、旅姿などが展示されている。一札事(離縁状)もある。いわゆる三下り半で、離縁状は誰と再婚してもかまわないというなかみで、辰二月に「権平」が「おさゐどの」に出したものだ。さらに「覚」という松並木の松が一本枯れても、お上の許可がないと切れないという文書。松並木は厳しい管理におかれていたことがわかる。
 本陣跡や問屋場跡などをみた後、室町時代に創建の東林寺に寄った。この寺の墓地には宿場で働いていた飯盛女の墓が5基ある。立札もなくどこにあるか探してみた。たぶんこれかな、と勘をはたらかせたが自信がない。墓地を訪れたご近所の人にきくと、やはりココだという。藤沢宿の永勝寺にも39基もの飯盛女の墓があった。
 やがて御油の松並木へ。この松並木は国の天然記念物に指定され、赤坂宿(豊川市赤坂町)まで約600mもつづいている。十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」にもキツネに化かされる弥次さんの話がでてくるが、あっという間に赤坂宿に到着。
 この宿には、本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠62軒(1843年資料)があった。この宿場には成徳6年(1716)建築の旅籠・大橋屋は、いまなお旅館をつづけている。家のなかをみせていただいたが、歴史を感じる天井のすみに古いカゴが2台おかれていた。
 御油宿と赤坂宿の2つの境界線は松並木。そのため客引き合戦は激しかったにちがいない。歌川広重の東海道五十三次内御油には「旅人留女」が描かれている。御油も赤坂もいまは静かな町並みだが、江戸時代の旅人はどのような夜を過ごしたのだろうか。

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