京急川崎に午前8時。まずは初めての川崎大師へ。大師駅から参道へ。門前商店街を通り境内へ。想像以上の大門。「厄除け大師」として知られる川崎大師は江戸初期から参拝者が多かったという。戻り京急川崎から旧東海道へ。
川崎宿の案内板によると、江戸時代後期の人口は770戸、3100人余、「伝馬役を負担する農民のほか、旅籠、大工、傘職、仏師、左官桶職などの商人や職人が住んでいた」。八町畷駅をへて鶴見橋関門旧跡。関門とは、安政6年(1859)横浜開港とともに外国人危害を防ぐための主要道路に見張番所。JR国道駅をへて生麦事件の碑へ。碑は、横浜環状道路工事のため近くに仮移設してあつた。この事件は、1862年馬に乗った英国人が薩摩藩士によって起こされた殺傷事件だ。
京急電鉄の神奈川新町から青木橋にいたる神奈川宿には寺や神社が多い。開港場に近いので寺は諸外国の公館に利用された。たとえば、イギリス領事館は宗興寺。米国人のヘボン博士の施療所。高台には金毘羅神社と一里塚の碑。坂を上った所には料亭。案内板には神奈川宿袖ヶ浦の「茶店軒をならべ、…波うちぎわの景色いたってよし」(東海道中膝栗毛より)とある。いまは眼下はビルだらけでその面影はまったくない。浅間神社の階段を上ると小さな社。高台からははるかかなたに横浜の超高層ビルがみえる。
やがて洪福寺松原商店街へ。とてもにぎやかな商店街だ。路上にまで果物がおかれている。八百屋の屋根には空箱が沢山あった。きょうは天王町まで。