旅日記

2014年11月15日(土)二川→吉田へ 15.2km

掲載日:2014.11.15

2014.11.15 二川駅から火打坂の右は旧東海道だが、左に入って岩屋観音に寄り道をした。岩屋観音堂は、奈良時代の天平2年(730)行基が諸国巡行のさいに千手観音像を刻んで安置したという古い観音堂だ。江戸時代には多くの信仰を集めたという。岩場のあちこちにたくさんの仏像が置かれている。山上の大きな観音像をめざして急な岩場を登った。山上からの景色がまことにすばらしい。
 岩場を下りて、ふたたび東海道へ。やがて国道と合流し、単調な国道を歩くことになる。東八町交差点(豊橋市)がみえてきた。交差点には東惣門模型(吉田城への入口)と大きな常夜灯がある。道路には路面電車が走っている。このあたりの旧東海道は何回か屈折している。まずは豊橋公園内にある吉田城跡へ。
 その手前の豊橋神明社は国指定の重要無形民俗文化財「鬼祭」が有名とのこと。社殿前には大きな赤鬼が置かれている。きょうは七五三の日。晴れ着の子どもたちがお参りにきていた。その隣には、国指定の文化財・豊橋ハリストス正教会(大正2年建築)がある。東京・神田のニコライ堂が本山だ。
 吉田城は戦国時代からの城だ。この城をめぐって激しい争奪戦の歴史がある。城跡の西側はいま豊橋市役所がある。本丸近くに天守かと間違えそうな櫓(ヤグラ)がある。高台に上がると眼下に豊川がみえる。ここ豊橋市も1945年6月に空襲をうけて焼け野原になっている。公園内に豊橋市美術博物館がある。入場してみると「近代日本の絵画名品展」が開かれていた。大正・昭和などの代表的な作品が展示されていた。
 ふたたび旧東海道へ。本陣跡、西惣門跡などをみたが、城下町の旧東海道はよく曲がる道が多い。豊川近くに湊築島弁天社がある。小さな池にかこまれた三間堂。寛政7年(1795)の建物で、ここも国指定の文化財になっている。小さな堂だが貴重な建物だ。
 豊川の橋の手前に「船町と高札場」の案内板がある。このあたりは豊川船運の終点として、また伊勢や江戸への航路の起点として栄え、また三河最大の湊だったという。地図をみると三河湾は近い。次回は豊橋を渡って、江戸から35番目の御油宿(豊川市)を歩くことになる。

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