旅日記

2014年12月25日(木)鳴海→宮へ 17.3km

掲載日:2014.12.25

2014.12.25 名鉄・前後駅から9時半スタート。駅前の旧東海道を西へ中京競馬場前駅近くに国指定の「桶狭間古戦場伝説地」(豊明市)がある。さらに直線で約1km南西にも「桶狭間古戦場公園」(名古屋市緑区)がある。さてさて、どちらの古戦場で今川義元が討死したのだろうか。戦場は広いので、特定はむつかしいというのが本音だろう。
 桶狭間の戦いは、永禄3年(1560)5月、尾張の桶狭間が戦場であった。関ヶ原の戦いの40年前だ。駿河・遠江の戦国大名・今川義元が、尾張を統一したばかりの織田信長を攻め入った。このとき今川軍は約2万5千人、織田軍は約3千人いたといわれる。結果は、圧倒的少数の織田軍の勝利となった。
 国指定の「伝説地」には、今川義元戦死所、今川軍武将の戦士場所などの碑がある。石碑は幕末や明治初めの建立が多い。近くの高徳院には、「今川義元公本陣跡」の碑がある。もうひとつの「古戦場公園」にも、「今川義元戦死之地」の碑がある。どちらが史実なのかわからない。両軍が戦った小高い「おけはざま山」をぐるりと歩いてみたが、いまは戸建て住宅が密集している。
 さてふたたび東海道に戻り、しばらく歩くと池鯉鮒(ちりゅう)と鳴海との間の宿・有松に到着。ここは江戸時代から「絞りの名産地」で知られる。連子格子のある古い町並みがつづく。寛政2年(1790)創業の愛知県指定の有形文化財・服部家住宅など、豪壮な商家の建物が多くある。ここ有松町は、名古屋市の「町並み保存地区」に指定されている。
 有松を過ぎると、やがて品川から40番目の鳴海宿(名古屋市緑区)に入る。ここは本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒(1843年資料)あったが、宿場の面影はまったくない。鳴海宿高札場(復元)、鳴海城跡、誓願寺の芭蕉最古(元禄7年)の供養塔、芭蕉存命中に建てられた唯一の「千鳥塚」が千句塚公園にある。
 鳴海宿から宮宿(名古屋市熱田区)へ歩くと、やがて江戸から88里の「笠寺一里塚」がみえてきた。この一里塚は名古屋市内をとおる旧東海道に残る唯一の一里塚で、右側の塚だけが現存している。見上げるほどの立派な老エノキがそびえたっている。すでに夕闇がせまってきた。笠寺観音を横目にして、いそぎ名鉄・本笠寺駅にむかった。

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